古くから日本人に親しまれてきた梅干しの歴史と伝統

おにぎりやお弁当にかかせない梅干しは、日本人のソウルフードとも言える馴染み深い食べ物です。「梅干一粒医者いらず」、1日1粒の梅干を食べていれば、医者は必要ないと言われるほど体に良い健康食として珍重され、古くから親しまれてきた長い歴史と伝統があるのです。梅は中国原産とされ、食用よりも漢方薬として用いられていたといわれます。紀元前200年頃の中国の政治家、利蒼の墳墓、馬王堆漢墓からは梅干が入っていたとみられる壺が発見されてます。日本では奈良時代以前に中国から解熱や下痢止めの漢方薬として伝えられたといわれます。未熟な梅をカゴに入れ、かまどの火で黒く燻し燻製にした鳥梅や、生菓子としても梅の実が食べられていたのです。現在の形に近い塩漬けの梅干が登場するのは平安時代に入ってからなのです。

薬として珍重され、高級品として庶民の口には入らなかった梅

平安時代の日本最古の医学書とされる「医心方」のなかで、梅干の効用がとりあげられているのです。塩漬けされた梅が上流階級の人々の間で薬として食べられ、当時の村上天皇が梅干と昆布茶で病を治したという伝承が伝えられています。鎌倉時代に入ると禅宗の僧侶が食事や茶菓子に梅干を食べるようになり、武士の食卓にも並ぶようになるのです。当時は身分の高い人たちが食べるもので、庶民の口に入ることは無かったのです。戦国時代に入ると、梅干は戦場での保存食や食中毒を防ぐ解毒剤や傷の消毒にも用いられ、戦に出る武士は必ず食料袋に梅干丸を携帯したといわれます。梅干丸は梅の果肉と米の粉と砂糖を練ったもので疲れを癒やし、殺菌作用もあったのです。戦で広く梅が使われたことから武将が梅の植林をすすめ、一般庶民の手にも入るようになるのです。現代も残る梅の名所や梅干しの産地には、この頃からの長い歴史がある地域もあるのです。

庶民の間に広まったのは江戸時代から、長い歴史のある伝統の味

江戸時代には現在の梅干しの作り方がほぼ完成され、広く庶民の間でも食べられるようになります。梅干売りも登場し、大晦日や正月、節分には、縁起かつぎとして梅干と昆布に熱いお茶を注いだ「大福茶」を飲む習慣も広まるのです。明治に入ると高い保存性と殺菌力が注目され、日清戦争では軍医が伝染病の兵士に梅肉エキスを与えて治療をおこない、前線の兵士たちは故郷の味として携行食に梅干を携帯していました。戦時中の興亜奉公日には、庶民の間で日の丸弁当が食べられていたのです。現代では何気なく食べられている梅干には、約1300年もの長い歴史と伝統があるのです。優れた保存性をもつ梅干は、古くからの製法で作られた塩分濃度約30%のものは軽く100年は保存できるといわれます。奈良県の中家には400年以上前の室町時代、天正4年(1576年)に漬けられた梅干が現存しており、江戸時代に漬けられたものは問題なく食べられたといわれているのです。
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